乳がんになった頃。
11年前、乳がんになった頃、私は抱えきれないほどのたくさんの事を身に纏っていました。
6年前、転移しても、肝臓は抗がん剤で治り、骨の治療をしている今ですが、臓器に転移しないところを見ると、がん体質では無いようです。
そんな私ががんになったのは、生活と食事だろうと思えます。
11年前の当時はパート6年目、チェーン店のパン屋です。
20代 の若い店長は気分の起伏がとても激しかったです。
私自身も雇用形態にも不満があり、徐々に会話をすることも無くなり、最悪な雰囲気の職場でした。
それでも、何かを辞めることが苦手な私です。毎週4〜5日パートに行っていました。
パート先は、自宅から自転車で15分ほどです。
そのパート先から自転車で8分ほどの所に、父が一人暮らしをしていました。
兄弟の中では、私が一番近くに住んでいました。
糖尿病を患っているのに、病院で治療をしようとしない父は、だんだんと歩くのも不自由になっていきました。
私は心配で、仕事帰りに買い物して実家に寄りました。
家事をして、一緒に食事して帰ると、休む暇なく自宅で夕飯の用意をしなければいけません。
義母との関係も悪くしない為です。
毎日疲れていました。
一日立ち仕事で身体も心もヘトヘトで、呼吸するのも苦しいと思える時を過ごしていました。
父を一人にして置く不安はありましたが、病院嫌いの父を通院させるには、私が手を貸しすぎてはいけないと思えてもいました。
父は、歩けなくなり、やっと病院へ行くと言い、直ぐ入院となりました。
その頃、胸のしこりが気になりました。
まさか?!と思ってました。
毎日忙しいので、1カ月そのままにしていたのですが、病院へ行くと、次回主人を連れて来るように言われて、主人と行った時に、乳がんと。。。
主治医の話を聞きながら涙が止まりませんでした。
がんの知識はありません。
がん=死という考えが、頭の中を支配しました。
手術の日もすでに決めてくれてました。
その後に及んでも、
『仕事があるので。。。』
などと言った私に、主治医は、
『仕事どころではありません!』
と。。。。
やっと仕事を辞められました。
父を他の兄弟に頼むには、皆片道1時間くらいの距離に住んで、それぞれ忙しそうです。
妹の家に1年ほど前から母が住んでいました。
母に話しました。
父にも話しました。
又一緒に住む事になりました。
嬉しかったです。
父の心配は、母が戻った事で無くなりました。
私の負担を減らし、治療に専念するために、姉妹も度々、父母の所に行くようになりました。
その頃の私は、健康に自信がありました。
精神的にもです。
私は出来る事は私がやる。
と、抱えてた荷物は、乳がんになる事で、かなり軽くなりました。
病気にならなければ、その行動に移れなかったのです。
愚かです。
6年前の転移の時も、仕事を二つ掛け持ち、時間の余裕を失いかけていました。
又抱え始めた荷物を下ろす為、病気になったのでしょう。
肉食、油物が多い家庭です。
身体に合わなかったのかもしれませんけど、一番の原因はストレスと思えます。
精神ダメージが身体の不調として出るようです。
これからはのんびり、ストレス解消しながら、病気と付き合っていきます。
どうぞ皆さんも荷物を抱え過ぎないように、楽しい毎日をお過ごし下さい
(^人^)
長文にお付き合い、ありがとうございます(#^.^#)
素敵な一日となりますように(^人^)
《今日の作品》
七宝焼のハイビスカスです。