同居難。

30年近く前、結婚後主人とアパート暮らしでした。
その頃はバブルの頃、結婚3年目で妊娠したものの、バブルの恩恵皆無の我が家は、私の妊娠退社後、主人の給与だけになる金銭的な生活の危機を感じていました。

主人の実家の建て替え計画中で、同居を誘われ主人も大乗り気、私も生活や育児の心配が無くなると、周りの同居は大変だと心配する声も聞き入れず決めて、妊娠8ヶ月で台所一つ、3世帯、主婦3人、義父、夫、義妹、総勢6人の一軒屋の少し広い一部屋に主人と引っ越しました。

義母は仕事をしていたので、みんなの炊事は私がやるものと、炊事掃除をして、当時はみんなが食べ終わるのを待ち片ずけて一日を終えていました。

メニューは自分で決められません。食材は用意してくれるものの、揚げ物も多く、肉の好きな家庭でした。
夕飯の時間も決まっていたので、夕飯準備時間には必ず帰宅します。


2階の部屋は、両親、義妹も使っていて、部屋のドアを昼間は閉めっきりにする事が出来ず、心休まる時間も余りありませんでした。
友達もアパート暮らしの時のようには呼べません。
いつも家族には敬語でした。
気に入った家具、食器も置けないので増やせません。


家族だから、はっきりと思った事を言うのも当たり前なのかもしれません。強くはっきり言う家族の中、元々考え過ぎて言葉に出すのをためらう私は、強い言葉に酷く傷付く事も多かったです。


食事を作る時間、手元を体を寄せ付けるようにして、義祖母が見て、色々言うのも善意と思って。。。。。でも辛く。。


主人にとっては産まれ育った環境なので、当たり前の生活です。
でも、私は次第に笑う回数も減り、夜泣く事もありました。


主人は全面的に私の味方であるが故、愚痴も家族内の喧嘩に発展してしまうので、言えませんでした。


少しづつ、少しづつ、私の楽になる生活にはなっていきましたが、今でも、昔の同居を決断した、若い、私の考えの浅い愚かさに、哀しみさえ感じます。


色々愚痴もありますが、いい事も確かにありました。そして今の自分を作ったのが、良くも悪くもこの生活です。


日々、ストレス溜まりました。その解消法は、手作りと日記と育児と、昼間の外出だったです。
でも、身体の中に溜まっていたかもしれませんね。乳ガンとして。


色々な事を通り過ぎ、今があるのですが、苦労はいつもあり、楽しみは探さなければ見つかりません。
小さな楽しみでも、いつも探しながら暮らします。

もし、愚痴を聞く人もなく、辛い人がいましたら話聞きますからね😊


《今日の作品》
ちりめんの小花を7つ付けたストラップです。7色の色合いに心ときめくものを作りました。
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