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敗血症で息子が倒れた、先月の今日。

あれから1ヶ月たちました。


12月18日、私はこれまでの人生で一番悲しんだ日だったと思えます。


今まで、親族のお葬式も体験したのですが、自分子供の事となるとこれほどまで狼狽えるのかと思える日でした。


その日の1週間前から息子はぎっくり腰で寝込んでました。なかなか治らないのも不思議に思いながらの1週間でした。


朝、息子の様子を見に行くと、酷くうなり苦しんで、顔の回りは吐いた血と泡状の物で広く汚れ尋常では無い様子、痙攣を夜中におこしたようです。息子に声をかけても苦しそうに唸るばかりで、夜勤から帰ったばかりの夫を急いで呼びました。


「救急車を呼んで!!」
夫に言われて、スマホで電話、夫は、
「大丈夫、呼吸はちゃんとしている。」
と、


119番を電話して、息子の様子を聞かれた時、夫と電話を代わって貰い、私のやるべき事を考えて、救急車に乗れる最低限の身支度を始めました。


そして、救急車の来るのを外で待ち、家に案内して、2階の階段の上て飼い猫のももが救急隊の足を止めさせていて、
「猫どけて下さい!」
の言葉に慌てて2階に上がり、ももを抱いて勢い余り転び、
「お母さん、落ち着いて下さい!」
と言われてしまいました。


貧血で直ぐゼーゼー息をするのですが、何度か
「お母さん、落ち着いて下さい!!」
と言われてしまいました。


更にその後救急隊が増えて、身長180センチ、体重100キロ以上の息子を2階からタオルケットを使い、6人がかりで救急車まで運び、夫と私も救急車に乗り、幸い近くの私も通院する病院で受け入れて貰いました。


意識障害です。その日は意識が戻らず、1日苦しそうに手足を動かしていました。あれほど腰を痛がっていたのに動けるのが不思議な程でした。


検査の結果を聞いて、その時に脳腫瘍という病名を聞き、ただでさえ冷静さを失っていた私は、1日中涙が流れて止まりませんでした。


夫の心配も私同様だったと思えます。家に少し帰りましたが、息子から目の離せない私と入れ代わり一晩息子の病室に泊まりました。


心配して、娘たちも家に来ました。全てを語るには息子の様子が悪すぎて語れません。
家に帰っても泣く私に、義母は、
「しっかりしなさい。」
と、でもその日は涙を止める事が出来ませんでした。


義母には救急車で行くときに、
「連絡するので家で落ち着いて待っていて。」
と伝えましたが、病院に着いた後も、どこの病院に着いたか、息子の様子も私たちが帰る夕方の時間まで度々電話したのは、家にいる義母の様子も気になったからです。
「私はしっかりしていなきゃ」
と気丈に頑張っていたようです。


その日は、1本のお茶のペットボトルだけで、夕方まで病院に居ました。


その日は1日色々考えて、
「私は自分の病気に負ける訳にはいかない、息子を見なければ!!」
と強く思いもしました。


次の日の朝、ろれつの回らない言葉で自分の名前を言い、私の顔を見たときに、
「何があったの?」
と聞いた時、
「息子が戻ってきてくれた。」
と又涙が溢れました。


その後の1週間、意識障害も何度か又あり、私は何度も泣き、何も出来なくすぐ疲れる自分に失望もして、
「私の出来ることをするしかない。」
と、毎日お見舞いに通うものの、時間も短くくしていきました。


10日程たち、個室から大部屋に移ったときは、息子もでしょうけど、家族皆もホッとしました。


息子はもう病気は治った、退院したい!と自分で思えてきてたのでしょう、敗血症の治療は昨年で終わったようでしたから。
これから大きな治療、脳腫瘍の手術を行うと息子が知ったのは、年が開けてお正月が終わってからです。


昨日から1ヶ月、治療の休憩を貰いました。
家族皆、これまでの疲れをとります。


退院したばかりなのに、息子は映画を見に行きました。1か月後の今日が元気で良かったと思えます。


今は、足にひびが入った私の方が安静にです。
心も身体も安静に過ごします(^^)


覚え書きのように書かせて貰いました。
これは前触れも無く、ある日突然の事でした。
とても怖い1日でした。


1ヶ月、ブログ訪問も少しづつさせて頂きます。
ご心配かけました。応援もとても嬉しかったです。


どうか皆さんもお身体大切にしてください(^人^)



曾祖母手作りのくまをおんぶして。
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